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本 東浩紀著『クリュセの魚』レビュー

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 三島賞受賞作の前作『クォンタム・ファミリーズ』以来、SF作家としても注目を浴びる東浩紀の新作『クリュセの魚』を読む。SF恋愛小説という謳い文句ながらも、様々な読み方が出来る、“頭のいい”作品でした。

ストーリー:舞台は25世紀の火星。地球とは物理的に離れ資源にも乏しい火星は、自由な思想のもとに発達した科学技術を背景に、戦争とは縁のない平和を得ていた。2445年のある日、11歳の蘆船彰人(アシフネアキト)は、クリュセ低地の記念館で、5歳年上の大島麻理沙と出会い、恋をする。高次に発達した情報文明社会に暮らすなか、その相互監視性を嫌った二人は前時代的な“手紙”と呼ばれる交信手段に似た方法で、連絡を取り合っていく。
 しかし、ある日、地球から遠く離れた宇宙空間で、太陽圏外超知的文明の存在を強く示唆する、時空間移動つまりはワープ機能を有する遺物、ワームホールゲートが発見される。火星=地球間の物理的距離感の意味はなくなり、太陽圏は激動の時代を迎えることになる。
 火星の主権を巡る争い、テロ、地球の大国間の戦争、これまでになかった激変が訪れるなか、ある日の火星で、蘆船彰人と大島麻理沙は結ばれるも、その後、蘆船彰人は大島麻理沙の本当の姿を知ることになる。
 恋に落ち、それでも正しい行動が取れなかった二人は、新たな命を巻き込みながら、時代の奔流の中心となっていく。

クリュセ、火星

クリュセ、火星

レビュー:我々が“何か”に接しそれを理解しようとするとき、その“何か”に似た先例を探し、両者間の比較によって同犠牲もしくわ差異部分に着目することを主要な手段とする。人類が時間軸に忠実に継承されてきたのと同じように、芸術作品もまた、上から下へと伸びる巨大な樹形の拘束からは逃れることができない。
 その意味で、本作 『クリュセの魚』はグレッグ・イーガン的であり、SF恋愛小説という面では『ハローサマー、グッバイ』などを思い起こさせる。もしくは文明の預言性という意味では『華氏451』でもあり、過去の行動と選択の可変性という意味では『夏への扉』なのかもしれない。しかしこういったSF界の横綱作品との比較は、本作の理解においてはほとんど意味がないのかもしれない。というのも本作にはあまりに多くのメタ的視点と比喩的な思わせぶりが盛り込まれており、下手に過去との比較を試そうものなら、その時間軸の上下運動に気を取られ、本作を感じるうえで最も大切な、例えば“魂”のようなものを、どこかに置き忘れてしまうことになりかねないような、そんな警告を本作からいつの間にか受け取っているように思えるのだ。だからまずは本作が恋愛小説であるとか、いやいや家族物語だよとか、ライトノベルでしょ、とか言うのはやめよう。本当はそういうことを言いたいのだが、ぐっと我慢しよう。
 この作品で、特に興味深かった視点が、可能性への拒否とも取れる姿勢を描いているところだった。前作の 『クォンタム・ファミリーズ』は量子力学が提示した理論としての並行世界の可能性を、物語として徹底して追求したものだったが、本作はより現実的な社会の末端的帰結を描いている。テクノロジーの発展としての自律性の内部には、すでに信頼を拒否するほどの自滅性も含んでいる。この辺は『2001年宇宙の、、、、ええ、やめます。
 テクノロジーの無限的発展がもたらす、相互信頼の欠如の原因は、つまるところ想像力の搾取に他ならない。 戦争も差別も、すべてが本人にさえ認知できないほどの微細な、日々の想像力の搾取から生まれる。もし我々が本当に信頼に足る社会を形成する個人となることを望むのなら、テクノロジーが提示する可能性をただひたすら享受するだけの21世紀的楽観主義者では、とても務まらない。発展可能性を背景にしつつも立ち止まるという、体感的な過去へのタイムスリップを経験し、なお、体感する過去にあっても行動や選択の修正を望まないという姿勢が必要なのだと、本作は説いているように感じた。もちろんSF的仕掛けというのは全てがメタファーである。そこにフクシマの問題や、緊迫感をやたら煽られる隣国関係、進歩しているはずなのに帝国化を求める国際事情、そういった現実問題を照らすと、なるほど、通底する原因分子だけが浮かび上がって見える。つまりは想像力の搾取。
 ただそんなことを言っても、本作はそれほど難しく考えずにも読める。同時体験として正しい選択なんてわかるわけがないが、その選択の責任だけは行為者がしっかりと背負うこと。それをもって行為は完結し、正誤の判断を超越できる。なぜか勇気づけられるのだ。

 前作の『クォンタム・ファミリーズ』は物語の面白さよりも、作者の東浩紀の頭の良さに悶絶してしまい、物語がすごいのか、作者がすごいのかよく分からない状態だった。ミラン・クンデラが言うように「優れた作品とは、その作者よりも少しだけ頭がいいもの」とするなら、『クォンタム・ファミリーズ』は作者の方が物語より頭がよく、手放しに優れた作品とは言えなかった。しかし本作は分量といい、作者の頭の良さいい、物語の深度と拡張性といい、どれを取っても文句はない。もちろん人物同士の関係の表現が雑という批判もあると思うが、あくまで本作はSF小説、そんなものは純文学とその信奉者にでも喰わせればいい。
 すんなり、様々な読み方の出来る、良作でした。

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